コラム 2018 No.11

種もオーガニック?

 

オーガニックの栽培において、「種もオーガニックでなければならないのか?」という疑問があります。
近年、オーガニックコットンの遺伝子組み換えの種の
蔓延の問題が大きくなっているので、このようなテーマに関心が向くのでしょう。

欧州EEC2092/91、アメリカのNOPのオーガニック農業の規定や農林水産省・有機農産物の日本農林規格などの規定をみてみると、
どれも「できるだけ有機栽培で採れた種」を使うこととしています。
さらに有機栽培の種が入手困難な場合は、農薬、化学肥料を使わなかった種という前提で使用ができるというようなあいまいな条文になっています。

種の規定を厳格にしてみても、「有機の種」そのものが潤沢にある訳ではないので、現実的ではない事を各機関は、自覚しているようです。
もちろん遺伝子組み換えの種は論外として、種の品種や品質、その土地の地形や気候条件に合った種の選択肢が広くないと
農業はリスクの高いものになってしまって、有機栽培の普及は益々難しくなります。

農業者にとって種を植えてどれだけ収穫出来て、年間収入はいくらになるかということが最大の関心事で、儲かる種を選ぶということは当たり前のことです。
オーガニック農業の考え方では、あくまでも栽培のプロセスを問題にすべきで、種そのものがオーガニックであることを限定する必要はないと思います。
環境の保全、作物の人体への健康安全性の面からみて、大量の化学肥料や有毒な農薬を使う栽培の過程が問題なのであって、種は問題ではありません。

これは丁度「生みの親よりも育ての親」を重視する考え方です。

人間に置き換えてみても、家柄や血筋を重視する社会は息苦しいものです。
たとえ犯罪者の親から生まれた子供でも、その子に罪はありません。
どのような不幸を背負って生まれてきた子供でも、愛情深く適切に育てれば立派な人物になります。
どうも、オーガニックな考え方の中に、科学的根拠が薄いのにやたら純度を重くみる頑迷さがあります。               
定の判断は、それぞれの条件毎に強弱があって然るべきなのに、一律に規定しているように見受けられます。

「種」という字は、稲のタネに重みをかけて土に押し込む様を表しています。
きっとこの漢字を作った人の思いは、作物が大きく重く実るようにという願いを込めたに違いありません。
田に根付かせることから「たね」となったのかもしれません。

1947年に千葉県の検見川で遺跡発掘中に、丸木舟と蓮の花托部分が発見されました。
そこで蓮の研究の第一人者の大賀一郎が加わり発掘が進められ、その後、地下6mの泥炭層から3粒の蓮の種が出てきました。
1952年に、この3粒の種から発芽を試み、なんとかその内の一つが見事に発芽し、立派に育ち大輪のピンク色の花を付けました。
放射性炭素の年代測定をしてみるとなんと2000年前の種と判りました。

「2000年の眠りから覚めた蓮の花」というロマンチックなこのニュースは、世界中に流れ、
アメリカの雑誌「ライフ1952年11月3日号」に掲載されました。
「大賀ハス」と名付けられたこの蓮は、日本のみならず世界各国に根分けされ、友好親善、平和のシンボルとして役立っています。

このように種は、種として神秘的な生命力を秘めています。
種には敬意を込めてその出自を問うのではなく、どのように育てるかに腐心するのが本来のオーガニックらしい考え方と思います。

 

文責:オーガニックコットン流通機構 顧問 宮嵜道男
2017/6/15