人生は旅一座

お盆ということで「あの世とこの世」に思いを馳せます。

世界にざっと66億人もの人がいて、日本には1億人以上の人が今を生きています。

その中で名前と顔が一致して記憶している人は何人いますか?
父母、祖父祖母、兄弟姉妹、叔父叔母、従兄弟(いとこ)に再従兄弟(はとこ)、それから学校時代の友達、先生、職場の上司や同僚達、更に趣味の仲間、近所の人々など、自分も知っているし、先方も知っていて、会えば会話が成り立つレベルの人々。

全部足して、さあ何人?
毎年、年賀状を出している枚数で大体の数は判るでしょう。
実際に書き出してみて意外に少ないのに唖然とします。
どうでしょうか、200人なら多い方ではないでしょうか。
この200人は、日本人として限定しても1億人分の200人として0.0002%の極々希少の人々です。
このわずか200人くらいの人々とはどういう人たちでしょうか?
自分とは何か?の問いに「自分以外のすべて」という解答がありますが、自分を取り巻くこの一団の人々とは、配役を換えながら、何万年も世代を超えて演じている「旅芸人一座」のようなものではないかと考えました。
この一団の人々は、時間、空間を共有するネットワークの中にいます。
それが証拠に、この一団の人々とは場所も時間もピッタリ、偶然に街で出くわすことがあります。
「世間は狭いね」とか「奇遇ですね」「縁がありますね」と不思議がる事は誰にでもあることです。
偶然の出会いは確率的に計算が成り立たない位に「人知を超えたもの」です。

日常感覚は顕在意識で満たされていると思ってきました。
ところが最近の心理学の研究発表では、人の行動、意思決定は、顕在意識の直前に無意識の領域の潜在意識の働きによって行われているとしています。
顕在意識は、意識の中の極くわずかの氷山の一角にしか過ぎない事はよく知られている通りです。
水面下の巨大な潜在意識こそ「わたし本体」なのでしょう。
更に深いレベルではユングの言う集合的無意識があり、シンクロニシティ「共時性」としてこの偶然を説明しています。
自分の意志で生きてきたということが、どうも怪しくなって、実は個々人がお互いに、相当強く影響し合いながら現実を生きているようです。
そして自分は旅芸人一座に属して何らかの役割を担っているのです。

そう考えると、少なくとも名前と顔が一致して意思の疎通が出来る遠い知人まで含めてこの人たちは、自分のこの人生で大切な存在の人々だったのだなあという感慨が起こります。
愛する人はもちろんのこと、嫌だなと思っている人でさえ自分を含めた一座の成長のために役立っているのです。

<旅芸人の一座はらせん状に昇って行く>
8月のお盆の日になんとなく「The Tree of Life」という映画を観ることになりました。
この映画の監督テレンス・マリックは孤高の人で、娯楽映画とはかなり距離のある作品を作り続けています。
2011年カンヌ映画祭パルムドール賞を受賞しました。
初演の時は、拍手喝采と同時にブーイングもあったという賛否両論相半ばする特異な作品とも云われています。

ツリー・オブ・ライフ「いのちの樹」とは、生命起源から人類に至るまでの枝分かれがまるで樹木の形に見えるのでそのように呼びます。
映画の冒頭で、こんなせりふがあります。

「人生には二通りの生き方がある。一つは神に仕えて生きること。もう一つは世俗に生きること。神に仕える生き方には変化はないが不幸はない。世俗に生きると変化の連続で、不幸も次々と起こる」

このことを受け入れなければならないとしています。

1950年代のある家庭の風景と宇宙創生から地球生命誕生、微生物から魚、魚から陸上生物そして羊水に浮かぶ人類の胎児まで交互に絡むように映像が展開してゆきます。

神は、なぜ人々の平穏な生活の中で突然の肉親の不慮の事故死などという過酷な運命を背負わせるのか、神への祈りは通じないのかと繰り返しつぶやきが発せられます。

そしてラストシーン。
あの世に行った人たちは、まるで演技を終えた役者たちのように、憎しみも悲しみも何事もなかったように再会を喜び抱き合い、晴れ晴れとした表情で手を取り合いながら歩いてゆくシーンでスクリーンは暗転し、静かに出演者達の名前のエンドロールがせり上がって行きました。

これは何を意味しているのか、難解なエンディングでした。
この世の生活は、あの世になると痛みも悔いもない単なる出来事となり、それぞれの配役を演じきったことを楽しんでいる役者のように見えるのです。

そして次の物語のために同じ一団の人々が配役を換えて再びこの世に降り立ち、また異なる配役で物語を展開してゆく、この繰り返しを経てきっと旅一座の団員は、共に高次の存在に向かってゆくのです。

団員のなかで高い意識を獲得した人が全員を引っ張るように、まるでらせん状に回転しながら昇って行くそんなイメージを持ちました。

日本オーガニックコットン流通機構
理事長 宮嵜 道男

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください