「オーガニック革命」へ

「赤の革命」「緑の革命」から「オーガニック革命」へ

どうして世界中でこれほど農薬をたくさん使用する農業になってしまったのか?考えて見ましょう。

世界は、大きく分けて、支配する側と支配される側に分かれています。

大衆と呼ばれる人々は、支配される側です。

支配する側は、巨大な資金力でエネルギー、食物、情報、時には、政治体制も支配して、さらに強大な力をつけるように動いています。

ただ、その施策はあまりに周到に行われていますので一般大衆には見えません。

第二次世界大戦が終わって、それまで軍需物質を作っていた巨大産業は民間企業として生き残ることを模索しました。

爆弾の原料には大量の窒素が使われていました。

この窒素は、化学肥料の原料でもありました。

そこで化学肥料を使う農法が研究されました。

1944年にロックフェラー財団によってメキシコで国際トウモロコシ・小麦改良センター(CIMMYT)が設立されました。

効率性を徹底的に求めて、革新的に収穫量を増やす研究でした。

ちょうどその頃1949年に中国で共産党が権力を握り、それまで農民を支配していた地主たちから一般農民に土地を取り戻させました。

いわゆる「赤の革命」です。

この動きは、他のアジアの国々の農民運動につながってゆき、同時に共産主義が急速に広がりました。

この動きに資本主義を掲げる西側勢力のアメリカは、強い危機感を持ちました。

これには、圧倒的に効率の良い農業技術を普及させることで対立できると考えました。

これを「緑の革命」と名づけました。

1962年にはロックフェラー財団はさらにアジアの国、フィリピンで国際稲研究所(IRRI)を設立し、米の収穫量を倍増すると言う目覚しい成果を上げてゆきました。

この研究の中心人物の農学者ノーマン・ボーローグは1970年にノーベル賞を受賞しました。

爆発的な人口増加が予想される中、画期的な農法で人類の食物の不足が危機的状況に達することを救うと言うのが受賞理由でした。

「緑の革命」が推進した農法とは、大量の化学肥料を農地に入れ、水路を張り巡らせ多量に水を供給し、改変された種を使い、効率を上げるため、単一の種の作物で栽培すると言うものです。

当初は、土地の条件に影響しない、気象条件に影響しない、従来の2倍の収穫ができるということで、飢餓のない明るい未来が高らかに語られていました。

ところが1970年代も中頃になると予定になかった現象が起き始めました。

作物が出来すぎて価格が暴落したり、窒素肥料を使いすぎて土壌が劣化して急速に収穫量が落ちてきたり、単一作物を栽培したため害虫が大量発生して、その駆除に大量の殺虫剤が使われ、農民の収入を著しく損ねることになりました。

また、この農法は、水を大量に使うために農民同士で水の争奪を巡って紛争が起きるようになりました。

大量の水を畑にまいたため、地中の深いところにあった塩分を吸い上げる結果となって畑は使えなくなりました。

また、大量の農薬が水源を汚し、魚が獲れなくなり、水質の悪化のため農民の健康を損ねてゆきました。

大量の種、大量の農薬、高価な機械など資本集約型の農業になっていって、小作農の人々はますます貧しくなり支配者との対立が出来てしまいました。

それぞれの地域に根ざした伝統的な農法は忘れ去られ、もはや戻る事ができず、農村は疲弊してゆきました。

「緑の革命」は、多くの多国籍企業によって、農薬、肥料、農業機械、農業技術、生産資材、そして専用の種がひとつのパッケージのようになって世界の農業市場に浸透してゆきました。

中でも種は最も重要な要素でした。

その種は、ハイブリッド、F1品種と呼ばれます。

一代交配種です。

例えば、「美味しいけど小さい」という品種と「まずいけど大きい」という品種を掛け合わせると一世代だけは、美味しくて大きいものが採れます。

ところが出来た作物の種、つまり二代目を畑にまくと、どんな作物が出てくるか分かりません。

小さくてまずいものが出てくる可能性があるわけです。

こうなると何カ月も手間を掛けて作業するわけですからとてもリスクの高い栽培をする気にはなりません。

そこで農民は、二代目は使わず、一代目をずっと毎回、買い続けます。

巨大な多国籍企業は、「種を制するものは世界を制する」ということで、現在でも実質的に食物で世界を支配しています。

日本人は、「種」に対してとても鈍感です。

日本列島は、世界でも類まれな豊かな自然環境です。

たくさんの種類の植物が当たり前に繁茂しています。

たとえば空き地があったらすぐに雑草が生えて背丈を越してしまいます。

アメリカのロサンゼルス郊外に住んでいた時、ひどい渇水の年がありました。

スプリンクラーで庭に水をまくと罰せられると言うほどでした。

すると見る見ると草が枯れて街の様子が変わっていった恐怖の記憶があります。

水の供給がない空き地には決して草も生えません。

砂ぼこりが舞う荒々しい風景です。

そういう不毛の地に住む人々にとって植物は、特別なもので、人から奪ってでも手に入れたいと考えます。

人の手を加えてでも守らなくては、と切実に考えます。

1853年ペリー提督が率いる黒船船団が東京湾浦賀に来航しました。

幕府に開港を迫っている間に、何人かの植物学者が三浦半島の山に入り植物採取しています。

伊豆半島から函館まで行ってひたすら日本在来の植物を採取してまわりました。

今でもニューヨーク植物園にはそのときの350種の植物が保管されています。

その植物園には、世界から650万種の植物があることを誇っています。

また、オランダから来た医師シーボルトは、日本の植物を採取する隠れた特命を受けてやってきていました。

1829年オランダへの帰国の際に伊能忠敬の精緻な日本の地図を持ち帰ろうとして発覚し、幕府からきつくとがめられました。

この時シーボルトに地図を渡した十数名の人たちは処刑されました。

外国から攻められる恐れのある地図は、当時、軍事機密だったのです。

同じように、シーボルトが持ち帰った植物については、なにもとがめていないところからも日本人の植物に対する寛大さが分かります。

植物があり余る中に生きている幸せに改めて気付かなくてはなりません。

植物は食べ物の元であり、薬の元です。

命にかかわる最もだいじにすべきものです。

現在の「緑の革命」は、さらに進めて種に遺伝子組み換え技術を使って人工の品種を作るまでになっています。

特定の種に専用の農薬をセットで買わせる新しいビジネスです。

例えばある除草剤に対してだけ抵抗力のある遺伝子組み換えの種を作ります。

こうして種と専用の除草剤をセットで売ります。

芽が出て作物が育ち、周りに雑草があると栄養分が横取りされるので駆除することです。

このときいくら除草剤をまこうが、作物の生育には影響しないという便利さです。

これならば、安心してたっぷりと除草剤をまいて、根絶やしに出来るわけです。

大豆、じゃがいも、ほとんどの作物が既に、遺伝子の組換え技術を用いて遺伝的性質の改変が行われた作物です。

ヨーロッパ諸国、欧州連合(EU)は、禁止していますが、日本の政府はこれを認めてしまいました。

そこでアメリカは雪崩をうつように日本に大豆を輸出するようになりました。

スーパーマーケットに行って、日本の伝統食のミソも納豆も遺伝子組み換えでないものを探す方が、難しくなってしまいました。

「緑の革命」の問題の中で忘れてならないのは、生物多様性の喪失ということがあります。

6500万年前、恐竜がいた時代、1000年に1種類の生物種が絶滅していました。

1600年天下分け目の関ヶ原の合戦の頃になると4年に1種類が絶滅していました。

現代は、飛びぬけて絶滅スピードが加速していて一日に100種類の生物種が絶滅しています。

一つの植物種が消えるとこの植物にかかわる6種類の昆虫や動物が消えると言われています。

殺虫剤、除草剤、枯れ葉剤など農薬は、その名の通り生物を殺傷する薬剤であることを忘れてはなりません。

「緑の革命」は、自然環境を傷め、人の健康をむしばみ、貧困格差を作り、持続可能性のある農法ではないことがはっきりしています。

これに代わるのは、「オーガニック革命」です。

有機農業、無農薬農業の新時代です。

その地域その地域にあった伝統的な農業の仕組みを尊重し、大自然の営みを科学的に利用して、何百年、何千年農業を続けても自然環境を傷めない農業の革命です。

そして支配される農業から脱して自立でき、仕事を誇れる豊かな農業に変えてゆきます。

1990年頃から始まったオーガニックコットンの農業は順調に拡大しています。

「オーガニック革命」は、着々と成功してきています。

日本オーガニックコットン流通機構 理事長 宮嵜 道男

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