コラム 2018 No.15

献上品への想い                                                                               

 

平日の冷たい雨の中、朝の9時半ごろ上野駅公園口を出て美術館に向かいました。

既に、人は沢山出ていて、色とりどりの傘が、緑の公園でまるでキノコの群生地を思わせました。
NHKの人気番組「日曜美術館」で取り上げられていた「皇室の彩」展が東京芸大の美術館で開催されていました。きっと混むに違いないからと条件の悪い日、時間を選んで出掛けることにしました。

美術館に着くとその作戦の甘さを思い知らされました。会場は、開場直後でしたが中高年のひとひとひとで
ごった返しています。じっくりと説明を読むことなどできません。
押し流されるようにして出口を出てしまいました。
なにがそんなに惹きつけるのでしょうか?

大正から昭和初期の今からざっと100 年程前に、皇室の方々のご成婚やご即位などがある度に国民からお祝いの品々が献上されました。
当時の最も優れた美術家や工芸家たちが、自らの誇るべき技の限りを尽くして制作されました。
横山大観の絵画・日の出と富士山や高村光雲の鷹や猿の彫刻、平田宗幸の鍛金・州浜置物などなど、ところ狭しと展示されています。

中でも人垣ができていたのは、「鶴桐文様蒔絵」の飾棚でした。
棚の裏側や縁までびっしりと装飾が施されていて、陛下への献上品に係れる歓びの気持ちが伝わってくるようで、
一分のスキもない精緻な仕上がりになっています。
これらの品々は、一旦献上されると、宮殿などに飾られましたので、一般に見ることができません。
今回は初めての公開ということでした。
この作品展から、改めて日本国民の皇室への敬愛ぶりを見る思いがしました。

第二次世界大戦が終わり、敗戦国・日本はアメリカの占領下に入りました。
1945年8月30日、日本占領軍最高司令官としてダグラス・マッカーサーが厚木基地に飛来しコーンパイプを銜えてタラップを降りてきました。
15日前の8月15日には、天皇陛下の玉音放送があり、はっきりと国民に向けて敗戦を認め、平和に向かって共に進んでゆくことが示されました。

9月27日には、天皇陛下とマッカーサー司令官との会見があり、二人並んだ写真を国民は複雑な思いで見ることになりました。
この写真を見て、現人神の天皇が敵の司令官と穏やかに並んで写っていることにさぞや驚き、敗戦の落胆と同時に平和になる実感を持ったことでしょう。

その後、一般の日本人からマッカーサーに対する崇敬の手紙や贈り物が多数、占領軍司令部に届いて、当のアメリカ人たちを驚かせました。
じわりじわりとアメリカ賛美の論も出始め、日本人の変わり身の早さ、変節ぶりは軽蔑に値するとアメリカ側だけでなく日本側からも評されました。

9月15日には、日米会話手帳という本が出版され、その年1945年の年末までの3か月間に360万部が売れ、ベストセラーになりました。いち早く英語を学ばなければ、後れを取るということでしょうか。

確かに、この年の3月には東京大空襲、4月には熾烈な戦いのあった沖縄戦、8月には広島・長崎の原爆投下などなど生々しい戦争の傷を負いながら、このように戦争終結と同時に平和への意識の変化があったことは、戦後の異常心理状態とはいえ驚きではあります。

なぜだろうか?

ここで、はたと思いついたのは、この平和への意識転換が出来たのは、やはり天皇陛下の意思を国民が受け入れたからだということです。
もしもマッカーサーが、天皇の戦争責任を追及して罰していたら、このような「日本人のアメリカナイズの転換」は起こらなかったにちがいありません。
おそらく破れかぶれの血気に任せてゲリラ戦が全国で展開され、占領政策は完全に失敗したことでしょう。

日本国民の皇室の支持率は9割以上と聞きます。

そして来年今上天皇は退位されます。

12月23日の天皇誕生を祝う皇居一般参賀、そして来年正月の一般参賀は、またまた凄い人出になることでしょう。

蛇足ですが、皇室の皆さんは、衣食住共に厳選されたオーガニックなものを取り入れて生活されていることを報告させていただきます。

文責:日本オーガニックコットン流通機構 顧問 宮嵜道男
2017/11/24