潮が引いたら その2[コラム 2020 No.11]

潮が引いたら その2

コロナ感染、非常事態宣言が各地で
解除されて収束の兆しを見せ始めて
います。
それでも首都圏、関西圏など人口密度の高い地域では引き続き警戒態勢を維持するよう求められています。
発症して生還した人たちの経験談を聞いていると水に溺れているように息苦しいなど、想像を絶する空恐ろしい症状に身を縮める思いになります。

潮が引いてみたらこの恐ろしい状況下で懸命に人の為に尽くしている人々の姿が見えてきました。

その筆頭は何と言っても、医療従事者の皆さんです。
医師と云えば、先生、先生と呼ばれて高給取りで優雅に生活している人と云うのが通り相場ですが、医療現場で自らも生身の身体を晒して感染への危険を物ともせず患者にウィルスに立ち向かっている医師の姿には感心します。もちろんそれを支える看護師の仕事の尊さは計り知れません。
連日の作業で疲労困憊で、家に帰ると家族に感染の心配があるからと宿舎に泊まると云う、更に自らを守るマスクがない、防護服がないと来ては、放り出したくなる最悪の条件が揃ってしまっています。仕方なくアルコール消毒して使い回して凌いでいるようで、感染の不安に押しつぶされそうだと云われています。
日本の感染症対策の脆弱性が露わになっていて、ただただ医療従事者の皆さんの無事を祈るしかできない歯痒さと申し訳なさを感じます。その申し訳なさがどこから来るかと云うと厚労省始め各行政の不備でそれを監督する現政権の不甲斐なさであり、それを選んでしまった我々国民の不見識から来ていると云うことです。

政治は景気が良くなれば全て良しなどと云う甘いものではなく、災害列島の日本であればこそ地震、台風、水害などにしっかりと備えていなければなりません。そして今回のような感染被害に対応できる態勢を当然のように持っていなければなりません。これが国の基本であることがよく分かりました。
感染拡大を止める為に、国を閉じる事になっても国内の食糧品、生活必需品の生産体制が維持できていれば、マスクがない、防護服がない、人工呼吸器がないなどの情けない事態にはなりません。これは国としての固定費であり、こう云う分野への支出を経済効率的に無駄だとして切り捨てない政権をしっかりと選ぶ事が国民の義務です。

医療従事者と同じように全国の介護施設で働く職員の皆さんにも頭が下がります。ひとたび感染が起きれば、入所している高齢者や障害者には瞬く間に広がり、取り返しのつかない状態になります。
身体的な弱者を専門に看取る介護職員が、自ら感染しないように生活の仕方を注意して仕事に向かう時の責任感、怖れの気持ちは強いストレスとなっていると聞きます。
本当にご苦労な仕事です。

また、目を街に転じてみれば、宅急便の配達員の皆さんのご苦労もあります。在宅で通販で買い物する人が増えて仕事が増えているようですが、流通の最後の段階をしっかりと守ってくれています。
食料品、医療品など扱う小売店の皆さんも、いつどこで感染した買い物客に接触するか分からず、さぞや不気味な思いで仕事を続けているのだと思います。

また、廃棄物回収の職員の皆さんは家庭から出るゴミを回収車に積み込む訳ですが、袋の中に捨てられた沢山のマスクを見るとゾッとすると話されていました。

どれも放り出したくなるような仕事ばかりですが、社会の混乱が起きないように身を挺して働いてくれています。
このコロナ騒動が起きるまでは、ほとんど意識したことはありませんでしたが、公共に繋がる仕事をされている方々への感謝の気持ちが沸沸と湧いてきます。
自宅に引きこもって、感染の暴風が過ぎ去るのを待つことができるのは、こうした人々の働きがあったればこそのことと、申し訳なさを感じています。

文責:日本オーガニックコットン流通機構
宮嵜 道男 5.15.2020