人類が求めてきた理想郷

日本・日本人のエシカルな特質Chrysanthemum
その二
<人類が求めてきた理想郷>

30歳、40歳台の頃は、海外へ仕事でよく 出かけました。広告関係の仕事をしていた関係で、海外に行って展示会の会場作りや、プロモーションビデオの制作、シンポジュームの運営などの仕事をしてきました。ドイツ、フランス、イタリア、オランダなどヨーロッパ各国、インド、タイ、中国、台湾などアジア諸国、ブラジル、メキシコなど南米にも行きました。
1987年から1993年までの6年間は、アメリカ・カリフォルニアに家族と一緒に住んでいました。
外国で生活をする、仕事をするというのは、観光で行くのとは全く違います。観光の場合はあくまでも遊びですから、楽しむのが目的です。
周囲の人たちにしてみれば、お金を使ってくれる大事なお客さんとして扱います。少しでもお金を落としてもらえるよう営業的な笑顔を絶やしません。ですから余程のことがない限りほとんど本音は見せません。
一方、外国に住むとなると、現地の人たちと直接、損得を交えた交渉ごとになりますので、その国の人々の生の姿を見ることになります。
このように、外国で生活してきて強く感じるのは、日本人はついに素晴らしい社会を作り上げたなあということです。あまり表だって語られることはありませんが、外国に住んで仕事をし、生活してきた人は大体同じように考えています。

日本は、世界でも類を見ないくらい「平和で安全で自由で清潔な国」だということです。
あえて言えば、おそらく人類が求めてきた「ユートピア」とはこのような国のことでしょう。
外国から日本にくる観光客は異口同音に、清潔で安心して滞在を楽しめる点を褒めています。
スイスから来た友人は「ファンタスティック!」を口癖のように連発して帰りました。
ファンタスティックは想像を超えた素晴らしさという意味です。
まず、食べ物が豊富でおいしい、住む環境が清潔、安全な水が蛇口から飲める、空気がきれい、交通が整備されて便利で安全、犯罪が少ない、人々は大人しく、法律・ルールをよく守る。ひどい貧富の差が無い、危険地帯といわれるような地域や貧民街というものがない。
それから人種差別や民族対立や宗教の衝突がない。これらは特に解決の難しい問題で、絶対に妥協できない硬い殻に閉じ籠った同士が狭い視野でお互いを嫌悪しています。
中東の紛争の原因は、宗教と民族が複雑に絡んで、正義か死かの崖っぷちの緊張を持ち続けていることです。
日本ではどれも希薄です。
宗教に関して言えば、キリスト教は500年前の戦国時代から布教活動は続けられてきました。
多くのミッションスクール、病院など沢山の布教資金が海外から投じられましたが、現在でもキリスト教徒は日本人口の2%いるかどうかで、かえって気の毒になるくらい少ないわけです。
世界のキリスト教徒は20億人、世界人口の30%と比べると破格に少ないのが日本です。
では仏教は、と云っても本当に仏教を信仰している人は僅かで、多くはお葬式の時にお世話になるだけです。じゃあ神道、これもお正月に初詣をする人や七五三には賑わいますが、あれは宗教とは云えません。祭礼行事です。このように、これといった宗教も無いし、対立する異民族がいる訳でもなく、戦う「種」がありません。
そういう意味で、ゆるやかな精神性もった平和な国ということができます。
安心して深夜1時、2時まで、若い女性が街で遊んでいられるという治安の良さです。外国人が東京の夜の繁華街を見てびっくりすることです。外国ではこの時間にいる女性はお金で自由になる女性ですから、勘違いして事件を起す外国人もいる訳です。
電車に乗っていて正体無く居眠りの出来る治安の良さは、世界と比べても凄いことです。外国人で長く日本に住んでいる人で、乗り物の中で居眠りするのが楽しみだと言っている人がいますが、聞いてみると自分の国に帰ったら居眠りなんて絶対にしない、いつの間にか荷物が持って行かれるし、下手をすれば命が危ないと言っていました。
イヤホンで音楽を聴いている人も多いのですが、これも信じられない光景です。
治安が悪い電車の中では、周囲の小さい変化に機敏に対処しなければなりません。
つまり外敵から逃げなければなりません。目と耳と触覚を鋭くしておかなければなりません。
日本の電車では、イヤホンで聴力を無力化してしまえる訳で、よほど安全が保障されていなければできないことです。
東京の1日の乗降客3、000万人、これほどの人々が、毎日毎日移動しています。
整然として事故もなく、比率からいったら僅かな事故しか起きないということは、外国の大都市と比べたら奇跡的なことです。
外国の人が、新宿とか池袋で通勤の大群衆の写真を撮っているのを見かけますが、撮りたくなる気分はよく分かります。朝の駅は凄い数の人々が黙々と、整然と歩いている。
エスカレーターに乗るときも、東京の人は左側に、関西の人は右側に寄って急いで登る人にスペースをあけるなんていうことが自然にできてしまいます。これが日本人なのです。外国ではありえません。
最近は、渋谷のスクランブル交差点をわざわざ動画で撮って、ユーチューブに載せて、世界中の人々が見て、「信じらない」とか、「いわしの群れのようだ」とか「どのように教育したらこうなれるのか」などとコメントが寄せられています。
人の流れに逆らえば、人にぶつかります。同じ方向を向いて歩調を合わせるからぶつからない、更に斜めから来る人など状況に対応して素早く体を斜に交わすからスーッと交差してゆける訳です。
人に迷惑をかけないようにする、周囲との調和を図るという習性が備わっているからできる芸当です。ゲルマン民族の大移動は4万人くらいで歴史上の大事件ですが、朝晩何千万人という人が、大した事故も起こさずに大移動している、これこそ奇跡です。
民族性というか、素晴らしく調和の取れた国民であることを誇ってもいいと思います。
聖徳太子は『和をもって貴しとなす』と言いました。1400年も昔の教えが見事に沁み込んでいます。
日本人は、一般的に人より極端に目立つのを嫌います。
外国人と比較すると、直ぐに集団に同化しようとします。「個」でいるより集団の中にいた方が、安心が得られるという民族です。自己主張の社会じゃないということです。
社会が安定して、自己主張がし難く、周囲との調和を求められる社会は、息苦しいと感じることはあるかもしれません。
日本人の自殺者数と社会の成熟度の関係を考えてみると、新しい形の社会が求められます。
インドに行ったときに、現地の人に「日本では何故一年間に3万人もの人が自殺しているのか?」と問われました。「じゃあ、インドではどのくらいの人が年間に自殺するのですか?」と聞き返したら、その人は「一人もいません」と言い切りました。
実際には生活困窮を理由に約1万人位が自殺しているようです。この数は、話題にならないくらい少ないということでしょうか。12億のインドと1億の人口の日本では比率からすればインドではゼロに近いほど少なく、日本は圧倒的に多いということになる訳です。
日本では、生活困窮を理由に自殺する人もあるでしょうが、多くは生活苦ではなく、精神的苦痛に耐えられなくなってのことと云われています。
一般的に貧しい国では、今日を生き伸びることに一生懸命で、自殺なんか考えないのでしょう。
日本でも生活が苦しいなんて簡単に言う人がいますが、世界の貧困地域の人々とは比べものにはなりません。社会が安定して余裕のある社会はみんな自殺者が多く、スウェーデンとかスイスにしても自殺者が多いようです。時間的な余裕があって、色々なことを悲観的に考え、その連鎖に落ち込み、絶望的な結論を出してしまうのでしょう。
うつ病や強迫神経症など、精神疾患に陥る場合もあります。
統計的に社会が安定すると自殺者が増えるという相関は確かにあるようです。

現代社会は複雑な人間関係の上に成り立つ面があり、これが精神に障害となるのであれば、仕組みそのものを修正してゆかなくてはなりません。
疎外感のない豊かなコミュニティ社会を作り直す、農業を基盤に置いたエコビレッジ構想とか、日本人ならではの居心地の良い社会改革を進める必要がありそうです。

平成27年10月13日          日本オーガニックコットン流通機構
宮嵜道男

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