名曲だけに哀しい[コラム 2021 No.18]
八月になると、ブラジル音楽をこよなく愛する日本人でも忌避する曲があります。
日本をテーマにした大変に美しいメロディの曲なだけに戸惑いを覚えます。
題名は平和(A Paz)でジルベルト・ジル(Gilberto Gil)の曲です。
この人はブラジルで、新しいスタイルの音楽トロピカリズモを進めた一人で、有名なシンガーソングライターです。そして 5年間 文化大臣を務めた政治家でもあります。
ボサノバ歌手の山本のりこさんの翻訳を参考にして歌詞を紹介します。
まるで台風の風が足元をすくうように、僕はもう地に足がつかなくなってしまう。
僕が目指す平和が海を越えて侵された、あの大きな爆発のように。
日本に落ちた爆弾が日本を平和にしたように。
僕は僕のことを思った、僕は君のことを思った、僕は僕たちのために泣いた。なんという矛盾、戦いによってしか、僕らの愛は平和に保たれないなんて。
僕はやってきた、岸辺のほとりで休もうと、そこで道は終わっていた。
夕暮れ時、リラの紫色の波が僕に向かって砕ける。
たくさんの「ああ」という嘆きの声が聞こえる。
歌詞を読んで、すぐに広島と長崎の原爆のことだと気付かれたことでしょう。
地球の裏側の遠いブラジルでも、原爆によって日本が降伏して平和になったというのが常識になっています。
私が中学生の頃、学校は日本が適切に降伏を示さなかったから決定打として原爆を落としたのだと、日本政府に非があるように教えました。
アメリカの元大統領のハーバート・フーヴァー「Freedom Betrayed /裏切られた自由」が、50年 の歳月を経て封印が解かれ、2011年に出版されました。
その中でルーズベルト、トルーマン大統領の原爆投下について、「アメリカの歴史において、アメリカ人の良心を永遠に責め苛むものである」と記しています。
この歴史的な過ちを一転、日本が戦いを止めないのでやむなく原爆を落としたという、まるで原爆を平和の使者のように、世界に喧伝(けんでん)したのでした。
事実はそのような事ではないことをフーヴァーさんは解き明かしています。
アメリカにとって不都合な内容ばかりで、これでは公表できなかったことは容易に理解できます。日本があの時代に開戦せざるを得ない事情が語られています。
南方の占領地で連敗を積み重ね、東京をはじめとする都市の大空襲、沖縄陥落と既に日本は戦闘を継続することができないことは明らかでした。1945年 5月頃から和平の意図を世界に示しました。
英米はこれを無視しました。
日本政府は日ソ不可侵条約先のソ連に仲介を頼み交渉に入りましたが、これも無視され、逆に対日宣戦を言い渡されました。
行き場を失っていた8月6日広島で、3日後の9日に長崎で、ついに原爆が投下されました。
フーヴァーさんは、原爆なしに日本を降伏させることはできたはずだと論陣を張ります。
ナチスドイツの原爆計画に対抗して完成させた新型の武器を実際に使って、破壊力と人的な被害がどれ程のものか確かめたいという冷酷な欲求は、科学者にも軍隊にも政治家にも強くありました。
また、戦後の世界の勢力図を見渡して、アメリカが超越した軍事大国であるためには、原爆の威力を世界に見せつけなければならないという戦略的な意味もありました。
広島の原爆はウラン型、長崎がプルトニウム型と2つのタイプの原爆で冷静に実験をしたのです。
広島に友人を訪ねたとき、原爆の被害を調査する施設があれだよ、と指さされた先に アメリカの ABCC(原爆傷害調査委員会)の大きな施設がありました。これを見ても戦争に勝利するという目的から原爆人体実験へと変質して行ったことが明らかです。
大手民間調査機関のピュー・リサーチ・センターが 2015年 に行った「原爆は正しかったのか」の世論調査では、56% のアメリカ人が正しいと答えました。
戦後すぐの調査では 1945年 に 85% が正しかったとし、1991年 にはそれが 63% に減ってきています。
出典:ピュー・リサーチ・センター 2015年「原爆は正しかったのか」世論調査
このフーヴァーさんの本が読み広まると、さらに原爆投下が正しかったという常識は萎縮していくものと思われます。
平和のためには、武器を憎む風潮を醸成させて行かなくてはなりません。
2021年11月26日
日本オーガニックコットン流通機構
オーガニックコットンアドバイザー 宮嵜 道男