貧困をどう伝えるか。
「フェアトレード」や「貧困救済」のテーマを持った製品をもっともっとご支持下さい。NOCの活動の中にフェアトレードや児童労働撲滅運動があります。
このテーマはビジネスとしては地味で、ややもすると前向きな企業活動のエネルギーを抑えるマイナス要素と考えられています。
「より安く品質のよいものを大量に提供して消費者に喜んでもらうのが商売だ」というのが常識となっています。
これは言い方を替えると「安く作る仕組みを作り、どこよりも安い商品を大量に売り
市場を独占する」という企業論理です。
「安く作る仕組み」がどのようなものかは表には表わしません。
日本政府は、景気回復に力を入れているので足を引っ張る要素は歓迎しないし、 マスコミは、広告にお金を使ってくれる企業の意向に沿いますから、「安く作る仕組み」の影の部分やマイナス面は話題にしません。
マスコミで扱われないテーマは、一般の人々にとっては存在しないものとなります。
まして日本は、世界でも有数な安全で清潔で平和な国です。
このような社会に住んでいて、貧困国の子供たちの過酷な日常を考えてみよと言っても、なかなか実感を持てないのは仕方がないことと思います。
自身で実際にその場に行き、その眼で見、手で触れ、臭いを嗅がないとわからないと
いうのは確かです。
以下は、かつてインドの畑を訪れたときの感想です。
・・・・安全で清潔な国、日本から飛行機に乗り、十数時間インド国際空港に着く。
そこから飛行機を乗り換えて小都市に降り立つ。
ここまでは日本にいる時とさして気分は変わらない。
そこから地元の方の車に乗せてもらい、街を走り始めると全く違う世界に居る事を
感じ始める。
それまでの観光客として見せられている世界ではなく、飾ることのない、極く
当たり前の日常の生活をしている人々の世界に入り込んでゆく。
埃っぽくベージュ色に霞んだ街、汚れた服を着た人々の群れ、人と車と羊が
入り混じる街路、大声で叫びあう人々の声、クラクションが鳴りっ放しの喧騒、
食べ物も汚物も排気ガスも入り混じった街の臭い。
頭のどこかで感じる恐怖感から来る緊張。
やがて車は街を通り抜け、一転静かな農村風景や工場団地横を通り過ぎる。
車は悪路を猛スピードで突っ走る。車が巻き上げた埃が窓から入り、
肌は汗ばんだ上に砂埃が張りつきザラつき、髪はゴワゴワ。
数時間して目的地に着き、現地の人たちと食事。
火を通ったものは食べられる、これは生っぽいから止めておこうなどと
考えながら食べる。味は二の次。
水は、ペットボトル以外は飲んではいけないと聞いているので、レストランで出てくるグラスの水には手をつけない。
目的のコットン農場に向かう途中、牛の糞を踏んでしまう。ありえない感覚。
ティッシュでいくら拭いても臭いが取れない。言いようのない不快感。
畑に行くと無表情でボーッと立ち、こちらを見つめる農家の人々、子供たちは、遠巻きに好奇の眼をこちらに向ける。
どの子供も、いつ洗ったのか髪は埃と汗で固まっている。
服は原型がわからないくらいボロボロ。女の子のスカートの汚れたレースが哀しい。
どの子も痩せていて、裸足が痛々しい。
昨日の今頃、東京の冷房が効いた小綺麗なイタリアンレストランで食事していたの
が、夢の事のように感じられる・・・・・・。
誰でも、初めて貧困を見た時の感じは大体このようなものだと思います。
写真や映画で見知っているはずの風景であるのに全く別のものに見えます。
そこには映像にはない空気感、体温、感触、臭いがあり生身の自分が
含まれているのです。
外国に来てみて、日本とは全く異なる世界が実在している事を実感します。
農村の人々のあまりの貧しい姿を見ていると言い知れぬ不条理を感じ、同時に
この国の政府の無作為に義憤が湧き上がります。(インド政府支出の13%を軍事費に
充てている)
児童労働が当たり前の貧困農村に行ってみると、自然に何とか助けなくてはいけない
と言う気持ちが湧きあがります。
実際にこのような世界に足を踏み入れることのない多くの日本の皆さんにどう伝え、
救済の気持ちを持ってもらうか今後のNOCの大きな課題です。
フェアトレードや貧困救済のテーマを持った製品をもっともっとご支持下さい。
平成25年6月10日 日本オーガニックコットン流通機構
宮 崎 道 男