おめでとうの一言[コラム 2021 No.15]
本日は9月20日、敬老の日で休日です。
新聞、ラジオ、テレビでは、65歳以上の人口が3640万人となり、国の人口のなんと29%になったと伝えています。
この数字は断トツの世界一位で、二位がイタリアで23.6%、三位がポルトガルで23.1%だそうです。
テレビのニュースショーでこう説明しているキャスターの口調は重く、目は伏し目がちで、困ったものですとポロっとこぼしそうです。
何かバッタが大量発生して田畑を食い尽くし、絶望しているニュースの場面を思い出しました。
数年前までは、敬老の日というと、畑で元気に農作業に励む老人にインタビューして「お元気ですね、がんばってください、本日は敬老の日、おめでとうございます」というような和やかな場面を写し出して、敬老ムードで盛り上げていました。
本日のテレビでは、高齢者に向けて祝いの言葉が一つもないことに驚きました。
ちなみに、敬老の日のほかに9月15日は老人の日というのがあります。
敬老の日は元々、9月15日だったのですが、政府が9月第三月曜日と決めて三連休にしたのです。
すると頑固な老人たちだったのでしょう、反対を唱えたらしく、政府は仕方なく9月15日を「老人の日」にした訳です。こんなことで反対するから老人が疎まれるのではないかと残念です。
さらに取って付けたように、この週間をゴールデンウィークに続くシルバーウィークと名付けました。
長寿国というのは、おそらく国際比較の上でその国の平和度、健全度、社会の安定度を測るのに最適な指標ではないかと思います。
人類が求めてきた理想の社会とは、女性、子供、病人、障害者、そして老人など弱者に手厚い施策が基本にあることです。
単純に経済規模や軍事力が強大だから大国とは言えないはずです。
真の大国とは、国民が長い人生をより良く、豊かに過ごせる仕組みを運営できるかに懸かっていると信じたいところです。
それにしても、65歳以上の老人が3640万人になり、社会の重い負担になるという風評がどこからきたのでしょうか。
年金や老人福祉への国家の負担が重くなって、国の発展の足を引っ張っているというイメージは どうして作られてきたのでしょうか?
人口は人の口と書き、衣食住の消費を意味しています。
3640万人が生活していることで大きな需要が生まれ、関連の企業の利益になっています。3640万人の消費需要がなかったら、それこそGDP経済規模は小さいものになるはずです。
というのも高齢者市場規模への予測で、この2~3年で100兆円を超すと言われています。
事業者は、大いに喜び意気軒昂にこの分野に注目しなければなりません。
不動産住宅業界も飲食業界も旅行業界も繊維業界も、もちろん介護関連業界、医療業界、製薬業界も、実は高齢者需要に依拠しているのです。
ご想像の通り、高齢者には多くの人手が必要で、巨大で安定した雇用の確保ができているのです。
経済の原動力は「需要」であり、国民に購買力がなくなると需要減退して経済は負のスパイラルに陥ります。
これまでにも、経済が低迷した場合、無理やりにでも公共工事を起こしたり、極端な場合は戦争を起こしたりしてきました。
安定した需要が見込まれれば、供給サイドは安心して投資をして活性化します。
富が満遍なく社会に行き渡ることも豊かな国のキーファクターです。
フランスの経済学者ピケティーの「21世紀の資本論」で解き明かして話題になっています。上位1%の富裕層が国民所得の4分の1を所有するという超格差社会のアメリカは異常で、眩しいくらい明るい面と絶望的な暗い面が共存していて、結果は窃盗事件、誘拐事件、銃乱射事件など、怨嗟や絶望がはびこり、やり切れないような悲喜劇が日常化しています。
日本社会も所得格差が広がり問題化していますが、まだ社会的な治安は国際的に最上位にあります。
UNODC国連薬物犯罪事務所が2016年に行った殺人事件の発生件数調査では、世界173か国中で日本は167番目で、先進国の中では最も安全な国と位置づけられています。
ちなみにアメリカは65番目で準危険国です。
格差社会が犯罪を生むことの証左になっています。
古くからある「人生ゲーム」というゲーム盤がありますが、プレーヤーの誰かが独り勝ちするとゲームがそこで立ち行かなくなり終わる、いわゆる社会が破綻するということになり、大変に示唆的です。
自分が高齢者の域に達しているからでしょうか、マスコミの高齢者に対する態度に不足があると過敏に反応してしまいます。ただ、一言のおめでとうが欲しかったのです。
この度は、お見苦しいところをお見せしたかもしれません。
2021年09月24日
日本オーガニックコットン流通機構
オーガニックコットンアドバイザー 宮嵜 道男