ターキッシュタオルの物語~これタオル地?~[コラム 2021 No.19]

両国の江戸東京博物館で開催されている「大江戸の華」展に行ってきました。
武家の儀礼と商家の祭りと副題にあるように、戦乱のない三百年の平穏な時代にあって、武家も庶民も唯々美しさ求めることが許された 熟成の文化の「華」たちが一堂に会したのです。
一口に三百年といいますが、世代でいえば親子10代にもなり、平和が当たり前の時代に生きた人々の功績です。
私の両親は青春を世界大戦に捧(ささ)げた世代であり、改めて300年の平和の重みを感じます。

美が極まった大江戸の工芸の数々に感嘆の声を漏らしながら見て歩き、鎧兜(よろいかぶと)の展示コーナーに 足が止まりました。
甲冑の数々も刀剣も、もはや実戦向きではなく、ひたすら美術工芸の価値に重きがおかれています。先の大戦に敗戦して多くの美術品が戦勝国に収奪されましたが、甲冑は人気があったそうです。この展示会のために2領の甲冑(かっちゅう)が里帰りしていました。

  出典:江戸東京博物館デジタルアーカイブス 
資料番号:09200085
 資料名:白天鵞絨地胴服

それらの甲冑(かっちゅう)の側に「白天鵞絨地胴服(しろびろうどじどうふく)」と表記された着物が展示されていました。
17世紀、高い位の侍が鎧(よろい)の下に着ていた異国の生地で仕立てられた襦袢(じゅばん)とありました。
その服の身頃に使われている厚地の生地は、なんとタオルのパイル地のようでした。
単純にタオル地とはいえませんが、確かに長いパイル状の糸がびっしりと表面をおおっています。
日本がタオルを輸入し始めたのが明治5年(1872年)のことですから、250年も先駆けていて、改めてタオルとは何だろうと興味を持ち調べてみました。

16~17世紀というと今のトルコ、オスマン帝国が勢力を奮ってヨーロッパ、中東を支配していた繁栄の時代です。
イスラムの君主スルタンの豪勢な生活ぶりは、アラビアンナイト・千夜一夜物語にあるように贅(ぜい)を尽くし、ハーレムでは愛憎、欲望が渦巻いていたといいます。
王の子孫繁栄はことのほか重要で、後宮ハーレムの規模も想像を絶するものでした。スルタンへの献上としての女奴隷たち、戦利品として捕らえられた女性たち、奴隷市場で買われた女奴隷たちで、千夜一夜物語・ハーレム千人と伝えられました。つい語り手の口が滑ったのでしょうが、実際は1603年時点で266人という記述があり、妥当なところです。
若い娘たちは、文化、文芸の教師たちによる高い教育を受けて音楽、舞踏、演劇などを学びました。美と教養が試され、スルタンに選ばれて子を産めば、一躍王妃として格別の扱いになるため、美容と勉学には余念がなかったに違いありません。
特に美形のコーカサス系の女性が好まれたようです。一方スルタンの好みではない女性は教育が 終わると持参金をもらい、自由になって普通に結婚して行ったそうで、どちらが幸せだったかは は知る由もありません。

ハーレムでの女性たちの暮らしは、大勢の宦官(かんがん)たちが身の回りの世話をしたので、慌ただしいものではなく、むしろ退屈な時間が多く、手慰みとして手間の掛かる工芸もいとうことがなかったようです。
ある日、ハーレムの女性が、織物をしていて粗い目で緩く織った布地に、思いつきで別の糸を 差し込んでみたら表面にくるりと輪ができて、これは面白いとなりドンドン進めて、装飾として工夫しているうちに洗練されていき、とうとう立派な厚地のパイル布地ができたのではないかと想像できます。
これが後に「ターキッシュタオル」と呼ばれ、大変に貴重な布地となりました。
この手法が現在のタオルの原型となったようです。

1850年にイギリス人のヘンリー・クリスティが、当時のスルタンからターキッシュタオルを もらい受け、それをイギリスに持ち帰り、織機の専門家サムエル・ホルトに相談したところ、 これはすごいと感心し、早速、織機の改良が始まり、なんと翌年には完成させるという程の意気込みでした。
二種類の縦糸を張り、一つがループを作り、もう一つが地組織を形成しました。
これをテリーモーションと呼びました。

二人ともこのタオル地に夢中になり、クリスティーはイギリスでクリスティータオルの事業として成功し、ホルトの方はアメリカに移住して1865年にニュージャージー州のパターソンにAmerican Velvet Companyを設立して、本格的なタオル生産を始めました。
この会社名を日本語にすると「アメリカ天鵞絨商会(びろうどしょうかい)」となります。「天鵞絨(びろうど)」はベルベットという意味です。
さて、そこで上記の鎧(よろい)の下着の名称を見ると「白天鵞絨地胴服(しろびろうどじどうふく)」とあり、あえていうと「白ベルベット地胴服(※1)」ということになります。ここでタオルに繋がったというわけです。

きっと長崎出島からトルコの貴重なタオル地が入ってきて武将の元に届き、着物として縫製されて、大切に今日に伝わったということでしょう。
日常、なんていうことなく使っているタオルにもこんな面白い歴史があるのでした。

※1 胴服【読み:どうぶく】
男子の和服の外衣で、羽織のもとの形と考えられています。
室町時代から江戸時代にかけて、小袖の上に羽織った上着です。
「胴服」は、脇のマチのない羽織の様な型となっており、多くは綿入りであり、衿をたてたり、長着風に内に折って着ることもあります。

東京都江戸東京博物館 特別展「大江戸の華」

2021年12月10日
日本オーガニックコットン流通機構
オーガニックコットンアドバイザー 宮嵜 道男

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