その四 森のイメージの違い
森林について考えるシリーズ
人は良し悪しの冷静な判断よりもイメージに流される性癖を持っています。
面白いのは西欧の絵本やアニメを見ていると主人公が森に迷い込み、周りの木が眼をむいた恐ろしい形相になって手足を振ってその主人公を驚かすという場面があります。
有名なのは赤頭巾ちゃんが森に住むおばあさんの家を訪ねる時に、そんな場面があったように記憶しています。
おばあさんが人里離れて、一人でわざわざ深い森に住んでいるというのも何か中世の魔女的なものを感じさせます。
シャーウッドの森のロビンフッドも森の神秘を背景に時の権力者から恐れられました。
邪悪な者が棲むのが森でした。
西欧社会の人々には、森に対して潜在的に強い恐怖感が植え付けられているようです。
現代の映画などにも表れます。
ナイト・シャマラン監督の映画「ヴィレッジ」は秀逸です。
森で囲まれた村の人々を支配するため、支配者が森への
恐怖感を創り上げます。
その恐怖心を乗り越えることのいかに難しいかが、
巧みに表現されています。
西欧の人々が森に魔物が住んでいるというイメージを
強く持っているのに対して、日本人は「森には人を守る神様が住んでいる」という正反対のイメージを持っています。
木はご神木と呼んで大切にします。
日本人には多神教の感覚が沁み込んでいて、仏教も神道もみんな多神教の枠の中に受け入れられています。
色んな神様がいて、都合に応じてお願いすれば、等しく助けてくれると無邪気に信じています。
日本列島の上には八百万の神(やおよろづの神)がひしめいています。針の先にも神様が宿ると考え、縫い針をそのお祭りの日には柔らかい豆腐に刺して日頃の縫い針の労をねぎらいます。
針供養です。なんと優しいお祭りでしょう。
一万3千年前は日本では縄文時代でした。
外来の弥生人が来るまで縄文時代は一万年も続きました。
縄文時代は森の文化でした。豊かな森のお陰で必要なものは全てありました。
豊かな社会だったようで、「個人が所有する」と言う概念が薄く、不平等は起きません。
特定の人に富が集中することがないため、強大な権力者が現れず、支配、搾取、紛争がなく平等な平和な社会が現出していたと云います。
縄張りを作って対立することはせず、不都合が起こると、棲み分けして、共存することを優先しました。
これは理想的なエシカルセンスの社会で、なるほど一万年も続いた訳です。
まさに今でいう持続可能サステナビリティ文明といえます。
この一万年間に熟成された遺伝子は現代の日本人にも色濃く刷り込まれています。
「一本木を切ったら二本苗木を植える」こんな簡単な習慣のお陰で、現代でも豊かな森に恵まれた日本列島に住めているのです。
宮崎駿監督の人気アニメーション映画、森の精「トトロ」の物語があれほど人気になる背景には日本人の中に脈々と伝えられてきた縄文人のオーガニックセンスがあるからだったのでしょう。
ポール・モーリアの「エーゲ海の真珠」というロマンチックな曲があります。ギリシャの海の透明なコバルトブルーと白い砂浜を思い出します。ところがこの海は見方を変えると生き物のいない死んだ海です。潮の香りもしない無機質な「海の砂漠」の風景なのです。
森から川が伝えて供給される植物プランクトンは沿岸の魚介類を育てます。
クノッソスの宮殿の壁画にはイカや、たこ、イルカが遊び、海藻が繁茂していた様子が描かれています。かつて森と海が織り成す豊穣な自然が当たり前にあったということです。
森がないと海草も育たない、海草がないと魚は産卵が出来ない。 小さい魚がいないと大きい魚は来ません。当然イルカも寄りつかなくなります。
日本の海は潮の香りがあって、濁って黒く見えます。これは養分たっぷりで生き物が沢山いる豊かな海であることを示しています。
1987年から北海道漁業共同組合は魚を増やすため植樹運動を始めました。浜の母さんたちも山に入り25万本の植樹をしました。森から川を伝わって養分が流れ、海に運ばれ魚を育てるからです。大事な海産物、魚の90%は沿岸で生きています。
また宮城県気仙沼は、かきの養殖が有名ですが、一時衰退しかけたとき漁民が山に登り植樹しました。そして見事に回復を果たしました。
岩手の漁民も20kmも山を登り広葉樹の植樹運動をしました。 広葉樹は葉が落ちて、腐葉土が出来ます。この腐葉土から植物プランクトン始め多くの養分が川に流れ、海に拡がり、海藻や魚や貝が繁殖します。 この運動の標語は素晴らしいものでした。
「森は海の恋人」です。
世界の森の消失は現在でも止まるところを知りません。1956年に地球の表面の四分の一が森でした。1978年には五分の一になり、2000年には六分の一になってしまいました。
毎年日本の国土面積ほどの森が消えています。
森は地球にとって酸素を供給する大切な肺の役目を持っています。
人類が生きてゆくには森は不可欠です。世界中の人々が本気になって植樹運動をしてゆかなければ未来がないことを知らなければなりません。
平成27年9月30日 日本オーガニックコットン流通機構
宮嵜道男