悪魔の証明[コラム 2019 NO.10]
悪魔の証明
2017年の3月頃のマスコミは、森友学園問題で大騒ぎしていました。安倍首相が同学園に100万円寄付したかどうかで国会でも大揉めに揉めました。
首相の進退が掛かった答弁で大変注目されました。首相は寄付をしていないということは証明しようがない「悪魔の証明」だと言い放ちました。
それから「devil’s proof /悪魔の証明」という言葉は俄かに脚光を浴びました。元々この言葉は、中世ヨーロッパの土地の所有権の立証の議論の際に持ち出された言葉でした。
「ある」ということを証明するのは、僅かでもあれば証とできるのに対して「ない」ということを証明するのは、森羅万象すべてに当らなくてはならず証は不可能であるということです。
但し、例えば「悪魔」はいないと証明できなければ、「悪魔」はいるということになるというように詭弁に発展するので、この議論は事実から遠ざかる危険性があります。
例をもう一つ、「空を飛ぶ豚」はいないことを証明できなければ、空を飛ぶ豚は存在するということになり、やっぱり漫画的でおかしいことが分かります。
「ある」ということを主張する側が、先に「ある」ことを証明してから「ない」ということの証明をして、結論を収斂させてゆくのが正しい議論とされています。
9月6日付の繊研新聞で、豊島㈱が行った「オーガニック商品の意識調査」の結果を報じていました。その中で記事の書き手は、「消費者にオーガニックコットンの認知のアンケート調査をすると6割以上の回答者が、オーガニックコットンは健康に安全で肌に優しいと答えていて、これは間違った認識だ」と批判しています。
確かに、オーガニックコットンの本来の特長は、「農薬を使わない有機農業で環境保全とそこで働く農業者たちを農薬被害から守り、公正な取引をして農業者を支援してゆくことである」という指摘はその通りです。記事では「自然環境に良い」と答えた消費者が50%弱であったことを本末転倒としています。マスコミはオーガニックコットンも一般のコットンも違いはないと断言しています。
これは、まさに「悪魔の証明」で「ない」と断言できるのでしょうか?かつてドイツの農薬の会社が行った調査で、綿の繊維に付いた残留農薬の量は僅かで健康に影響はないという見解があり、マスコミはこれを根拠にします。
しかし、NOCグループが10年以上取り組んできた化学物質に過敏な患者さんたちへの対応の中で、簡単に同じとは言えない場面に出っくわします。
4,5年前のことです。化学物質過敏症の患者さんが布団を必要としていて、こちらに問い合わせてきました。いきなり布団を加工してしまっては、価格差もありお客様の経済的な負担になるだろうと思い、一般の綿とポリエステルの綿とオーガニックコットンの綿のサンプルをそれぞれビニールの袋に詰めて送って官能試験をしてもらいました。
結果は明快でした。オーガニックコットンの綿以外は、袋を開けた瞬間に不快感に襲われてすぐに捨てたそうです。あまりの違いにご本人も驚きましたが、こちらも、そんなに違うものかとびっくりでした。化学物質過敏症の患者さんは、優れた感知能力のある方々で、身体に害があるものをナノレベルで感知します。健常者は、害があっても感知できず、身体に抵抗なくすべて取り込んでしまっているということです。いずれにしてもこれを証明するのは容易なことではありませんが、こういう事実があることから一般綿とオーガニックコットンは同じとは言えません。
また、かたや多量の農薬を浴び、綿花が十分に熟す前に乱暴に機械で刈り取られ、固く圧縮されたブロックになります。その後、綿繰り(ジニング)工場に運ばれ、繊維と種が分離されますが、この時の機械は効率のいいソージーン方式で鋭い歯に繊維が引掛かり分離されます。綿繊維に対して効率優先で繰り返しダメージが与えられます。では、オーガニックコットンはどうか?農薬のない畑で綿花の熟成を見ながら、一つ一つ人の手で摘まれてゆきます。そのまま特に圧縮されることもなく保管され、ジニングの工程に入ってゆきます。
種を分離する機械は、繊維を傷めないローラージーン方式です。一貫して繊維にダメージを与えない方法で次の紡績の工程に運ばれます。以上のような違いがあるものを、違いが「ない」と断じるのは再三で恐縮ですが「悪魔の証明」といえます。
肌触りがいい、安心感がある、健康に良い感じがするという消費者のオーガニックコットンへの好評価は、NOCグループが、当初からオーガニックコットン原料の持つ実直な原料背景を尊重して、その後の工程でオーガニック性を汚すことなく安全性、純粋性を貴び、オーガニックコットン製品をここまで普及させてきた結果の成果であり、消費者のイメージも狙い通りに定着していることといえます。
日本オーガニックコットン流通機
顧問 宮嵜道男 9.13.2018