潮が引いたら その3[コラム 2020 No.12]

潮が引いたら その3

iPS細胞の研究でノーベル賞を受賞した山中伸弥氏は、コロナ禍の感染者、犠牲者が欧米各国と比べて、日本が極端に少ない理由を環境用語の「ファクターX」と云う言葉を掲げてしっかりと分析することの大切さを語りました。

日本政府の感染対策はPCR検査の抑制策など方向性のない後手後手の方針を「おっかなびっくり」国民に伝え、世界でも最も緩い部類の対策に終始しました。
人口1.2億人、世界第3位のGDP大国という国家規模でありながら、それでも結果は驚異的な軽傷で、世界中が首を傾げて「奇妙だ」と呟いています。

「ファクターX」と考えられる要素
・感染拡大に対して、徹底的にクラスターを潰した。
・マスクをすることに抵抗がない。
・歯を磨く、手を洗う、毎日、入浴するなどの衛生観念。
・習慣として人とのハグや握手をしない。
・会話などでは大声を出さない。
・納豆など発酵食品をよく食べる。
・毎日肌着を変える。
・土足で家に上がらないなど、内外(ウチソト)の境界の観念。
・トイレでスリッパに履き替える。
・日本人の遺伝的体質が要因。
・BCG接種など、公衆衛生政策。
・それまでのインフルエンザなど何らかのウイルス感染の免疫が影響。

以上の項目を見てみると、日本人が本来このウイルスに対して抵抗できる体質があったというのは考え難く、少ないながらも感染者、死亡者は出ています。
してみると、日本人が古来体得して来た観念があるように思います。

古人から人様には礼を尽くし、やたらに慣れ慣れしく相手の体に触らない、相手の目を正視しては失礼だと躾けられて来ています。
考えてみると普段、知人、友人、兄弟、親にさえ触ったという感覚が薄いことに気付きます。それでも特に人との触れ合いという点で精神的な不足を感じる事はありません。それは多様な気持ちを表せる豊かな言語空間を発展させたお陰でしょう。
敗戦してアメリカ精神で教育され、握手やハグなどをするようになったように見えますが高々70年、2000年以上の厚い歴史文化を持つ日本人の心の奥深くにある古来の精神が覆ることはありませんでした。
潮が引いたら、古来の日本人の奥ゆかしさが見事に現れ、これがコロナ感染を防いだ理由のようです。

禊ぎ(みそぎ)と穢れ(けがれ)
朝、起きたら水で顔を洗い、口を濯ぐ、仏壇、神棚に手を合わせ、1日を始め、外から帰って来たら手を洗い、うがいをして食事して入浴して身を清め、肌着を替えて、寝巻きを着て就寝するのが当たり前です。ところが海外の人々はこのような事を面倒と感じる傾向があります。
毎日風呂に入ることもなく、土足で家に上がり、トイレでスリッパに履き替える事もなくそのまま部屋を歩き回ります。ウイルスにとっては取り付くチャンスが沢山ある有難い環境なのでしょう。

神社に行くと必ず手水舎(てみずや)があって手や口を清めてから神前に臨みます。
これは禊ぎで穢れた娑婆の垢を清めるという観念が働いています。
目に見える、見えないに限らず、日本人は穢れを潜在的に恐ろしいと感じています。
人様に迷惑や災いをもたらすことも『穢れている』と捉えます。
何を穢れとしているのか、キリスト教やイスラム教のような明確な教義がある訳でもなく曖昧な多神教を信じる日本人の特有の事で、敢えて表せば、集団の常識ということになります。
集団の常識であって、絶対的なことはなく、集団の中にいる人々の感性で決まります。
よく日本人は自分の意見を持たず、何を判断の基準にしているのか分からないと外国人に指摘されますが、正にこの穢れの感覚が底流にあると考えられます。
争いのない安定した生活をするためには、物事を判断するのに、集団の意見を大切にします。

そして穢れを清める禊とは何か?
日本人は事あるごとに、『水に流す』という言葉を便利に使います。
何か悪いことしても土下座したり、頭を丸めたりの禊が済めば、水に流してくれる、許してくれるとなります。キリスト教では、神に罪を許して貰えるよう祈り続けますが、日本人は神様に許しを得るという感覚はなく、あくまでも集団に許して貰わないと事は収まりません。
集団の意見が絶対で、同調圧力という言い方も流行りました。
同調圧力は、自粛要請などが出ると列を乱さず従うという感染拡大に対しては高い防衛力となります。

コロナに感染した有名人たちは、一様に感染した不徳を神妙に世間に詫びるのです。これも日本独特のものです。
以上コロナ禍の感染が奇跡的に抑えられた日本のファクターXの答えは、日本独特の観念だったということのように思えます。
潮が引いたら見えて来た、世界の中の日本人の特異性ですが、コロナウイルスには至極、居心地が悪かったようです。

文責:日本オーガニックコットン流通機構
宮嵜道男 5.26.2020