世界は一つ人類は兄弟[コラム 2021 No.05]

世界は一つなのか、それとも各国それぞれ違うのか。
人は皆んな同じか、それとも人はそれぞれ違うのか
こういう問いは二律背反といい、神羅万象の永遠の問いかも知れません。

哲学者のカントはこれをアンチノミーと呼びました。
宇宙は無限か有限か、宇宙は部分からできているのか全体からできているのか、宇宙には法則があるのか、無法則の偶然か、因果はあるのかないのかを問いました。
当然ですが答えは出ません。
 
この二律背反は日常的にあってアンチテーゼ、パラドクス、ジレンマ、ビジネスの世界ではトレードオフなどと沢山の言葉を使います。
一見、難解そうですが、日本語にすると簡単です。
矛盾がある、相反する、辻褄が合わない、整合性がない、自己撞着など。

「私は嘘つきです」「張り紙禁止と書かれた張り紙」などはウッと一瞬面食らいますが、
痩せたいけど食べたい、お金は欲しいけど働きたくないとなれば、なーんだとなるでしょう。
このように日常は、二律背反のせめぎ合いの中でなんとか釣り合いをとって過ごしているもいえます。

この2020年に入って、いきなり降って湧いたようなコロナウイルス感染騒動が起きて、あれよあれよという間に一年が過ぎてしまいました。最近、少し落ち着いて来ていますが、外国からのワクチンの輸入が頼みの綱となっています。日本の製薬会社はどうしたのでしょうか、やはり国産のワクチンを皆んな、本当は望んでいるのではないでしょうか。
 
昨年まではインバウンド、海外からの観光客が年間4,000万人を目前にする盛況ぶりでした。
貿易の規模もざっと160兆で国民総生産額GDPの30%を占めていました。
貿易を拡げる仕組みとして各国との自由貿易協定FTAや環太平洋パートナーシップ協定TPPなどが本格化して行くところでした。
このコロナ騒動の後どのようになって行くのでしょうか。
 
このような騒動が起きると、国の指導者は自国民を守るという政策に一気に切り替えます。
それは政治的なイデオロギーを問わず、自国最優先政策を採ります。
特に国民の命に関わる食糧については、きっぱりと輸出禁止令を発布します。
生活必需品も同じように自国のために確保するように政策判断します。
よその国のことを構っている場合ではないのです。

もちろんしばらくして落ち着いてくれば、「人道」という言葉を思い出して、余っている物があれば売りましょうということになります。
世界は一つ人類は兄弟というスローガンは、正にあるべき姿ですが、危機的な場面となると 吹っ飛んでしまいます。
疑うことなく、グローバリゼーション一辺倒で突き進んできた日本の経済ですが、ウイルス 感染という災禍の前で、その脆さが露呈してしまいました。
物が溢れて、廃棄食品の山があって、無駄をなくす工夫などする前に、如何に物を安く輸入して供給し、売り上げを挙げて利益にするかの流動性を強く信じて突き進んできました。

この痛い教訓を得て、もっと賢く、落ち着いた国の経済のあり方を原点に立ち戻って政策構想することを望みたいと思います。

これからも、このような鎖国的な状況に陥ることを想定しなければならず、国内であらゆる 需要に応えられるような生産体制が必要です。
グローバル化という言葉には、必ず国際分業という言葉がついて回りましたが、国民の生活の必需品に関しては国産化が必要なことが、はっきりと分かりました。
 
冒頭から二律背反について述べましたが、二つの相反する事象をどう乗りこなすかは、やはり間を取るということになるのでしょう。
人はみんな同じだという考え方と人はみんなそれぞれ違うので尊重しなければならないという考え方は、どちらも正しく、そのバランスを取ることで解決できるものです。

あらゆるものを海外生産は50%以下で、国内生産50%を維持するということを国の基本方針にすることが国の安全確保の道だと思います。

NOCが属する衣料繊維業界に関して云えば、感染防止のマスクが足りない、感染症対応の医療機関に防護服が足りないなど、日本の繊維加工、縫製加工の工場が壊滅的に少なくなってしまっている現状が知られるようになりました。
不評のアベノマスクもミヤンマーで生産されて輸入されました。本来なら日本の工場で手分けしてでも間に合わせて欲しいと思いました。

日本国内で生産された「メイド・イン・ジャパン品」を愛用する風潮をもう一度作り直して行く事が大切と考えます。

2021年3月3日
日本オーガニックコットン流通機構
オーガニックコットンアドバイザー 宮嵜 道男

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